盛徳寺の由緒縁起

阿波蜂須賀家 墓所

盛徳寺の由緒は阿波蜂須賀家の菩提寺として江戸時代に遡ります。
江戸初期、阿波の国(徳島)の富田藩藩主である蜂須賀隆重一行が参勤交代のため通りかかった東海道戸塚の宿近辺で正室である盛徳院ならびに次女のアリカ姫(法霊院)が病気になったので、戸塚宿の盛徳寺の前身である尼寺養東院にて養生したが看病の甲斐なく貞享元年(1684年)に亡くなった。蜂須賀家分家では、この養東院に盛徳院と法霊院(アリカ姫)のお墓を建て田畑を与え、4人の家来(全員鈴木姓)にお守りさせたのがその始まりです。その際に養東院という名称から正室の戒名の一部である盛徳院をとり盛徳寺とし、また山号である福聚山は蜂須賀家の始祖である蜂須賀小六の戒名の一部(福聚院)に因んだ名称へと変わっています。

開山は高杉晋作の挙兵で有名な山口県にある功山寺の大旗義徹大和尚が執り行いました。

当寺の本尊様は聖観世音菩薩となっております。